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生き方ナビゲーションの会ご報告

2008年3月28日 金曜日

小牧市立光ヶ丘中学校で「生き方ナビゲーションの会」が開催されました。
将来を担う子供達が、仕事に夢を持ち、望ましい進路の選択ができるように、という主旨で開催されました。その第1回の会にお話をする機会をいただきました。
                                                                                                      


                                                                                                      

当日は午前の診療の一部を休ませていただき、飼い主さんには御迷惑をおかけしたかと思いますが、その分、一所懸命にお話させていただきました。一部ですが御報告いたします。
                                                   
当院が開業して10年。まだまだ発展途上の当院ですが、私達がどのような思いでこの動物病院をいとなみの場としているかをお話する機会を与えられましたので、ほんの少しですが御報告いたします。
                                                   
まずは、体育館で開会の挨拶の後、講師の紹介です。ちなみに私は起立されている講師の方から右へ5人目です。
                                                   
講師の方は全部で20人、コンビニの店長さん、大学の教授、自動車のエンジニア、アナウンサー、学芸員、旅客機の客室乗務員、ヘリコプターパイロット、自衛官、など様々な職種の方が講師です。私の知らない職業の方ばかりでしたので、私の方が色々お話を伺いたいくらいでした。
                                                   
私以外に19名の様々な職業に就かれている方々が、それぞれその仕事に就かれた経緯や仕事の内容の説明などを生徒に解説します。生徒は20名の講師の方から4名選択し聴講します。
                                                                                                      

                                                                                                      
一見すると、こわそうかも知れませんが、お話は単純です。
                                                   
獣医師は動物病院以外でも働く場がたくさんあることを説明しています。
むしろ、動物病院以外の獣医師の方が社会に対する貢献度は高いのが現状です。
将来は動物病院獣医師ももっと社会にアピールする立場にならなくてはなりません。特に、私の話を聞いて下さった生徒さん達が将来獣医師になる頃には、もっと社会に貢献できるような存在になっているよう、今から私達は整理発展しなくてはなりません。
                                                   
持ち時間が20分しかないので、伝えきれないことも多く、生徒とも話す機会がなかったのが残念でした。でも、また依頼されたらお受けしたいと思います。
                                                                                                      
中学2年生のころ、皆さんは何をしてましたか?私はあまり楽しい学生生活ではありませんでした。もちろん将来どんな職業に就くかなど、考えるような機会は学校は設けてくれませんでした。とにかく優秀といわれている高校に進学することが第一だったのです。受験地獄という言葉であらわされるような毎日で、当時は校内暴力が問題化されはじめた頃だったのです。
                                                   
現在の中学生がどのような生活を送っているのかは伺い知れないところですが、方向を持たないエネルギーの固まりに過ぎないような世代なんだろうと思います。その世代が「取りあえずの進学や就職」を 嫌い、どこが自分の落ち着く先なのか模索する。でも世の中を活躍できるような世代から見れば、まだまだ若すぎて、「これが自分の生きる道」というものに出会うことはなかなかないと思います。そして、いつの間にか努力することや持続することから引き離されて育ってしまった若者は、手軽に得られる「道」だけを求めるようになる。でもその「道」が正しいかどうか、そんなことはやってみなければ分からないことだと思います。自分に合わないのではないか、と不安になることも多いと思います。でもそれが試練。本当に自分を試す時です。
                                                   
持っているエネルギーをその「道」からそらすのは簡単なこと。でもその後に見つけた「道」が正しいという保障はどこにもない。またあきらめのくり返しになるかも知れません。そんなときに今まであまり経験したことがなかった努力や持続の力、これを発揮させる必要があるのではないでしょうか。 これが自分にとって合っている、正しい道なんだ、と確信できるように自分で道を作ってみてはどうでしょうか?最初から正しい道なんてあるんでしょうか?それがあるとしたらそれはどこかの誰かが一度歩んだ道のはずです。似たような道はあるかもしれませんが、決して同じ道ではないはずです。だとしたら、自分で道は作らなくてはならない。というか、自分で道を切り開くことができるのは不安かも知れないけど楽しいこと、生きていることなのではないでしょうか。
                                                   
以前、ある本で私が感銘を受けたお話があります。うろ覚えなのですが御紹介したいと思います。
                                                   
今年の1月に別の中学校で同じような主旨の企画がありその時もお話させていただきました。
                                                   
たしか舞台は中世のイタリアだったと思います。
旅人がある街を訪れます。そこでは教会堂を建設しており、多くの職人がせっせと働いていました。
旅人は、そんな職人の中で特に3人の若者に目をとめました。その3人は石工でした。
熱心に働いている姿にひかれたのでしょう。旅人は3人に話し掛けました。
                                                   
「君たちはいったい何をしてるんだい。」
                                                   
一人目の若者が答えました。
「私は一日3リラで働いているんだ。」
                                                   
二人目は、
「見て分からないかい?ただ石を積んでるだけさ。」と答えました。
                                                   
最後の若者は、
「あなたには見えないかも知れないけれど、美しい教会堂を作っているんだ。」と答えたそうです。
                                                   
旅人はしばらく3人と色々な話をした後、その街を後にしたそうです。
                                                   
さて、30年後、その旅人は再びその街を訪れました。
そして、あの時の3人の若い石工のその後を知ることになります。
                                                   
あの時最初に答えた若者は、その後わずかな手間賃に嫌気がさして石工を辞めてしまいました。
その後行方知れずになっていました。
2番目に答えた若者は、腕のいい、頑固な石工として今も親方に信頼されて働いていました。
                                                   
そしてもう一人のその後は・・・。
                                                   
ちょうどその時、あの教会堂の近くでさらに荘厳な教会堂が建設中でした。
                                                   
最後の一人の若者は、その教会堂の設計・施工を任される建築家になっていたそうです。 
                                                   
意味のあるようなないような話かも知れませんが、なんで働くのか、その疑問と重ねて考えていただくと、何かが見えてくるかも知れません。